海野氏を訪ねて


父上の案内で真田家の祖である海野氏(うみのうじ)の足跡を東御市に訪ねました。


白鳥神社へ参拝 

白山権現を奉る神社で海野氏(うんのうじ)の氏神様です。

州浜紋が私たちが迎えてくださいました。

テレビの効果は大きいです。

「テレビで観ましたよ。頑張ってくださいね!」

御朱印をお願いした際に声をかけていただきました。

上田市街にある海野町商店街は、上田城築城の際に、上田市の東に位置する東御市にある海野宿付近から町人を移したと教えて頂いた。

海野宿から海善寺(かいぜんじ)地域を通り興善寺(こうぜんじ)を訪れました。

海善寺(かいぜんじ)は地名のみが残りお寺は上田市に遷っております。

興善寺(こうぜんじ)海野氏の菩提寺です。



父上に海野氏のお話を聞きました。

滋野宗家に、禰津(東御市付近)、望月(立科町付近)、海野(東御から上田市東)と滋野三家からなり、私の祖父幸隆さまが海野家の出自とも、姫君をもらい親類衆であったとも諸説たくさんあって・・・父上もわからないって。

海野平合戦という戦いで、坂城町の村上氏、諏訪市の諏訪氏、甲斐(山梨)の武田氏の三方面から攻められ、神川が激戦地となって海野氏、嫡子幸義の討死など敗北してしまい、祖父幸隆は上州へ、祖父の弟たちは矢沢・常田の叔父上たちは諏訪・村上に降ったそうです。

海野平合戦でも真田一族は別れて起死回生の機会を各々に待ち、武田家に祖父幸隆が出仕し叔父上たちも武田家に与力して真田の郷に戻ってこれた。

真田一族が守ろうとした真田の郷

父上も関ヶ原のさいに一族の辿った路を思い起こし真田の郷を守るために兄信幸と別れたのか?

ご住職さんとお話をする機会を偶然頂戴し、ご挨拶をさせて頂き、海野家のお話を伺うことができました。

参道に山門、本堂も荘厳でした。


弁丸

第七回真田幸村コンテスト軍記

日本一の兵真田幸村の名に懸け全国へ上田をPRする。 第七回目真田幸村コンテスト 優勝七代目真田幸村 準優勝六代目影武者穴山小助 審査員賞真田祭決戦劇真田昌幸役 信州上田を盛り上げPRするために奮闘するモノノフたちの軍記物語